eラボ運営者
合同会社アドバンス代表 杉本隆一
エネルギーワーク講師/コンサルタント
1980年9月10日生まれ おとめ座 B型
山口県出身
趣味:2人の姪っ子、露天風呂&サウナ、真理の探究
性格:フザけるのが大好き
気質:HSS型HSP(刺激探究型で敏感)
強み:図解、話し好き、アイデア創造
才能:相反するものを融合させる柔軟性
弱み:コツコツ同じ作業
苦手:威圧的で押し付ける人

そりゃ逃げるよね
友だちと遊びたいのに「拒絶される」のが怖くて誘えない。
思い切ってチャレンジしたいのに、失敗して「馬鹿にされる」のが怖い。
自分でもどうして「遊ぼう」と言えないのか分からない。
何でもっと限界を超えていこうとせず、途中で諦めるのか?
(できるだけの能力はあるのに)
訳も分からずただただ怖い。
死ぬほど怖くて仕方がない。
今なら理由が分かります。
こんなにも大きいトラウマ(心の傷)を抱えていれば、何もしなくなります。
逃げて逃げて逃げまくるのも、そうするより他に解決策がなかったからでした。
ビビりな性格ではなかった
人と深く関わるのが怖いし、仲良くなってもすぐに離れて行く...
自分には価値がないと思ってるから自分を好きになれないし、失敗するのが怖くてやりたい事にもチャレンジせずいつもイライラ。
6つのトラウマ=自信が無い正体を見つけた時、
「だから自信が無かったのかー。性格じゃないんだな(ほっ)」
めちゃくちゃ嬉しかったのを今でも覚えています。
弱くてカッコ悪い自分が大嫌いだったけど...
性格の問題じゃない、これで救われるんだと、心から安堵しました。
インナーチャイルドの癒し
性格の問題でなくて安心したと同時に『こんなにもたくさんの悲しみを抱えていたのか』と、もう1人の自分(インナーチャイルド)に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
気づいてあげられなくてごめんね。
悲しかったよね、痛かったよね、辛かったよね。
今まで1人でよく耐えてきたね。
ほんとごめんね。
ありがとう。
僕自身が自分のことを大切にしておらず、放置していたんだと気付かされた瞬間でもありました。
言い訳ではありませんが、まさかこれほどたくさんの悲しみを抱えていたとは想像もしていなかったし、トラウマから解放されるのに10年近い時間がかかったのもトラウマを甘く見ていたからでした…(涙)
川を超えて聞こえる泣き声
僕のビビりエピソードで最も古いものは3歳の時。
家から1キロぐらいの保育園に通っていて、橋を渡って川を越えたすぐ先の隣町にありました。
当時、車を持っていなかった母が歩いて僕の送り迎えをしていました。
園につくと先生にかんたんな挨拶をして母とは別れますが、
「ぃ”や”だぁ”あ”ぁ」
大声で泣きわめいて駄々をこねる。
その泣き声は母が橋を渡っても川の向かい側までずっと聞こえていたようで、そのぐらい母と離れるのが怖くて仕方なかったようです。
(いわゆる分離不安ですね)
母いわく、園に預けて帰る時は大声で泣きわめくから後ろめたさを感じて一度家に戻るけど、夕方お迎えに行ったら案外ケロっとしてたよとのことでした(笑)
早熟な小学生
自慢に聞こえるかもしれませんが、授業は教科書を読めば理解できたので学校は退屈で仕方ありませんでした。
「こんなことが将来何の役に立つんだろうか」とか、授業があまりにも退屈すぎて『何で日本には飛び級が無いんだろうか』と本気で思っていました。
運動神経も良かったので、クラスではできる子として目立っていたようです。
(同級生に言われました)
また、HSP(繊細)気質とトラウマのおかげ?で、イヤでも空気が読めてしまうので先生や大人からはとても聡明な子に見え、手のかからない「良い子ちゃん」だったと思います。
初めてのトラウマ体験
小学校低学年(おそらく2年)の時、徒歩5分ほどの近所の団地に遊びに行った時の事。
その団地には同年代で10人ぐらいの子どもの集団がありました。
前後の詳しいいきさつは全く覚えていませんが、その中の2~3人に
「お前なんか来るな!帰れ!」
こんなことを言われ、団地の公園から追い出されてトボトボ帰ったのを覚えています。
その体験を機に、僕は【仲間外れにされる】トラウマを抱えて生きていくことになります。
(似た経験を何度も繰り返す)
ただ、僕が初めてのトラウマだと思っているこのエピソードも、実はそれ以前に父と母との関わりによってできた「何か」がこの団地の子ども達を怒らせ、帰れと言われるに至ったのでした。
過保護で過干渉な母親
僕は2人姉弟の末っ子でもあり長男でもあるので、姉によると母にはかなり甘やかされていたようです。
専業主婦だった母はおせっかい焼きの心配性で、
「こうしなさい」
「あれはやっちゃダメ」
「〇〇はもう準備した?」
僕の気持ちや意見は無視して自分の気持ちをガンガン押し付けてきます。(母が全て正しい前提で)
甘やかされ母と接する時間が長かったからこそ、めちゃくちゃ干渉されました。
結果、僕は人に対して強固な壁を作るようになります。
(母に僕の領域にガンガン入り込まれて傷ついたから)
いつも僕が悪い
トラウマの影響か、僕は小さい頃の記憶がほとんどありません。
そんな僕でも未だに鮮明に覚えているのが食器片づけ事件。
小学3年生の時、食事が終わってお気に入りのアニメを見ていたら茶碗を下げるのが遅くなったので「後からやる」と言うと、
「今やりなさい」
「そう言っていつもやらないでしょ」
母親にこう言われて激怒した記憶があります。
「いつもやってるだろが!」
僕はブチ切れて食器を下げることなく部屋へと戻ろうとすると、その後ろ姿に母の追い打ちが浴びせられます。
「ほら、そうやっていつも逃げる」
いつも、全て、全部、母の極端な物の捉え方によって、いつも僕が悪く、何をやっても決めつけで信じてもらえない。
だったら最初からやらないと決意するようになりました。
嫌なら出ていけ
もう1つ母とのエピソードで思い出されるのが、言い負かすと倍返し事件。
親が子どもをしつける時に使う「みんながやってるから」「よそはよそ。うちはうち」などの、親にとって都合の良い理屈。
僕は頭のいい子だったのでその矛盾を指摘して、よく母を言い負かしていました。
「嫌なら早く出ていって稼いで自分の好きなように生きればいい」
母は決まってこう言い返して会話は終了。
僕は自分の意見を言うことも許されず、これ以上何も言えなくなります。
親が間違っていても、子どもは黙って親の言うことに従わないといけないのでしょうか?
親も被害者
母の言い分も一見すると正論ですが、自分の都合が悪くなったから脅して相手を黙らせているに過ぎません。
・子どもは黙って親の言うことに従え
(育ててやってるんだから)
こういう価値観が根底にあり、母自身もそうやって育てられたのだと今なら思えます。
母もおじいちゃんおばあちゃんの間違った育て方の被害者の1人で、心に大きな傷を負っていた。
じゃあ、そのおじいちゃんおばあちゃんもまた父親母親からトラウマを植え付けられ…
もちろん当時はそんな事情を知らないので、
「言いたい事を言っちゃダメ(どうせ拒絶される)」
「やりたい事をやっちゃダメ(どうせ疑われる)」
子どもという弱い立場である僕は黙って従うしかありませんでした。
「こんなこともできないのか」
両親は2人とも昔からテニスをやっていたこともあり、僕もたまに一緒に練習に行っていました。
小学5年生の時、久しぶりに父と2人で近所のテニスコートへ向かいました。
なぜか特訓のようなものが始まり
「もっと早く動け」
「何でそこで諦めるんだ?追いかけろ」
「今のはもっと前に出ろ。何してるんだ?」
できない指摘、ダメ出し&ダメ出しのスパルタ指導。
僕はテニス部でもなければ遊びでテニスをやってるだけなのに、あれができてないこれができてない。
ああしろこうしろと怒鳴られる。全然楽しくない。
「お前は根性が無い」
「男らしくない」
「こんなこともできないのか」
いくら運動ができるとはいえ小学生ですし、遊びでやってるだけなのになぜこんな言葉を浴びせられるのか意味が分かりませんでした。
見下す父親
父はテレビを見ていると「こいつはつまらん」「なんでそんなことも分からんのか、馬鹿やの」画面に向かってディスり続けています。
団塊世代の男なんてみんなこんなものと言ってしまえばそれまでですが(笑)
今にして思えば父も大きな劣等感を抱えていたんだと思います。
その怒りの矛先がテレビや自分の子ども(僕ですね)に向かっていただけのこと。
「お前の考えは浅い。世の中なめるな」
「男らしくない。根性がない。情けない。」
何度言われたか分かりません。
父からの見下し攻撃によって僕の自尊心は低下し、自分には価値が無いんだ、できないんだという無力感・劣等感がどんどん溜まっていきます。
深く傷つき、中学生になると思春期も相まって父への憎しみはものすごいことになります。
完全無視
口を開けば何かにつけて見下され馬鹿にされるので、父とは話したくありません。
最終的にはおはようの挨拶すらしなくなります。
目も合わせない。
完全なる存在の否定。
同じ空間に居るのも苦痛で「一切関わらない」を選ぶようになりました。
誰だって自分のことを『価値の無い存在』として扱ってくる相手と一緒に居たくないですからね?
長年に渡って溜まりに溜まった怒りや憎しみ=悲しみが爆発寸前でした。
何度〇そうと思ったか
父への怒り(というか憎しみ)は相当激しく、33歳で2年間ひきこもった際にも何度かバチバチにやり合います。
話し合いというよりも責め合いで、お互い溝が深まるだけで何も進まない。
話を聞かない父親に対して本気で〇そうと何度も考えました。
「お前のトラウマのせいで俺は今こんなに苦しんでるのに!」
「何が『そんな過去のことは忘れろ』だ!」
「マジぶっ〇してやる」
2人の姪っ子のおかげで実行には移しませんでしたが、42歳になるまでこの確執は続き、その期間の長さが傷の深さを物語っています。
廊下に穴をあける
高校2年生の時、父からのディスり、母からの押し付けに怒りが爆発して、廊下の壁を殴って穴をあけました。
ちなみに自分の部屋にも3個の穴があります。
自分を否定され、拒絶され、馬鹿にされ、傷ついた悲しみ=怒りを何かにぶつけなければいけないほどに追い込まれていました。
ただ、ビビりだったのと心根が優しかった(?)ので、不良になってグレることはありませんでした。
生まれついての喘息とアレルギー性鼻炎、アトピー持ちの虚弱体質だったことも不良になれないのにひと役買っていました(笑)
「自分」が浸食される
幼少期の子どもにとって親は神さまやヒーローのような存在です。
そんな2人に自分という領域を浸食され、『お前はこういう存在だ』と言われ続けると、自分はそうなのかな?と自分が分からなくなっていきます。
「他人軸で生きる」という言葉がありますが、まさにその通り。
・失敗して馬鹿にされないように慎重に(行動しない)
・言っても拒絶されないように(言わない)
・僕のせいだと疑われないように(目立たない)
・できないと凹むから簡単な事だけやる(楽しくない)
「自分がこうしたい」ではなく、トラウマを刺激されないように行動するようになります。
虚勢を張り、分厚い壁を作り、誰1人として僕の領域を浸食させないように必死でガードしていました。
それが幼い僕にできる、唯一のトラウマへの対抗策でした。
愛着障害
家に居るのに「心の安全基地」が無い状態でした。
母にはああしろこうしろと押し付けられ、父には見下され情けないとディスられる。
・自分で居ることを許されない
母の望む理想の息子像、父の望む理想の息子像。
何でも器用にできるがゆえに、父や母の期待に応え続けなければいけない(愛されなくなる)と、ちゃんとしなければいけないと、見えない不安にずっと怯えていました。
たどり着けないゴール
当たり前の話ですが、母の望む理想の息子にも、父の望む理想の息子にもなれません。
僕は僕にしかなれないんです。
どれだけ頑張っても「できていない所」を指摘され、もっと上を目指せると「期待」される。
・自分には何かが足りていない
・今の自分ではダメなんだ
・もっともっともっと...
見えない敵と戦い、頑張っても頑張ってもたどり着けないゴールに、ほとほと疲れ果ててしまいました。
人生のピーク=小学4年生
自分という領域を両親に浸食され続けた僕は、
・何かが足りない自分が好きじゃない → 自己否定
・ダメな自分には何もできない → 無力感
失敗を恐れて行動できなくなり、中学生高校生になるにつれ無気力無感動な、地味で目立たない存在になっていきます。
・何でも器用にこなせるのに、何にも自信が持てない
小学4年生ぐらいにはその片鱗を自分でも感じ、中学生になると「これが自分」だと、ビビりで自信が無いことを性格によるものだと完全に諦めていました。
坂道を転げ落ちる
得意だった勉強も運動も少しずつ難しくなっていき、下積みが全くなかった僕は中学高校と上がるにつれてどんどん落ちこぼれていきます。
今までは勉強や運動ができていたのでそれなりに自尊心を保てていましたが、
・もっと自分のことが好きじゃなくなる
・自分は本当に何にもできない
こんな状態で地元の高校に進学するも、大学受験2年連続不合格という壁にぶち当たります。
その後は何となくで決めた専門学校に通い、税理士事務所に勤務するも25歳の時に限界を感じて退職。
歪みまくった認知
自分のことをどう認識しているか?この世界をどう捉えているか?
価値観や根源的な考え方がトラウマの影響で歪んでいました。
・僕は嫌われている
・僕には価値が無い
・僕が成功するわけがない
・言っても無駄
・誰にも分ってもらえない
・どうせ仲間外れにされる
いつの間にか僕は自分のことをこう認識していました。(無自覚に)
こんなセルフイメージで頑張っても上手く行くわけがなく、税理士事務所を退職した後、パソコンのスキルがあったので何とかなるだろうとネット起業を試みるも失敗。
27歳の時に勢いで今の会社を立ち上げ、ホームページ制作、写真撮影、インターネット回線の飛び込み営業、ヒーラーなど...
どれも長続きせず様々な業種を経て今のエネルギーワーク講師&コンサルティングという形態に落ち着きます。
成功に必要な5つの力
成功の定義は人それぞれですが、最新の研究では人生で成功するには、
・自制心
・最後までやり抜く力
・愛され応援される人間力
・知的好奇心
・物事を楽観的に捉える力
こういった非認知能力と呼ばれる、学力や資格では測れない力が必要だと言われます。
ビジネスを始めたばかりの僕はそんな事を知りもしなかったので、『仕事の能力さえ高ければ成功できる』と本気で思っていました。
HSP気質
では、話を現代に戻しますね。
HSP:Highly Sensitive Person、感受性が強く刺激に敏感な気質を持つ人
近年「繊細さん」「敏感な人」として話題になっていますが、僕もそのHSP気質持ちです。
・一を聞いて十のことを想像し、考えられる
・多彩な観点から深く物事を考える
・調べ始めると深く掘り下げることから知識量が多い
・人混みや大きな音が苦手
・友達との時間は楽しいものの気疲れする
こういう特徴を持つと言われますが、物事は表裏一体なのでメリットデメリットがあると思います。
僕の場合はたくさんのトラウマを抱えていたので、特徴を活かせず、とにかく疲れやすく、サラリーマンや雇われの身で一生働くことに恐怖と絶望を感じていました。
ちなみに補足しておくと、HSPは『情報を受け取る能力が高すぎる』がゆえに、繊細になったり敏感になってしまいます。
HSP気質を活かすにはたくさんの情報を基に、精度の高いもの(芸術、音楽、アイデア商品サービス、)を創るのがオススメです。
ジェットコースターなHSS気質
HSS:High Sensation Seeking、刺激を求める人という意味で、
・変化を好む
・新奇で複雑かつ激しい感覚刺激を求める
・同じことを繰り返すことが苦手
僕はHSPにプラスしてこの気質も合わせ持っています。
熱しやすく冷めやすい
HSSは感情がジェットコースターのようで、ひと言で表わすとこんな感じです。
いわゆる「飽きっぽい」性格。
特にこの飽きっぽい性格に関しては、母から「あんたはいつもやめる。飽きっぽい」と言われていました。
・・・これに関しては僕も自覚があったので何も言えませんでした(笑)
HSSはセラピストに不向き
HSSは刺激を求めるので「同じことをコツコツやるのが苦手」です。
(実態は苦手というレベルではなく虐待に近いです(笑))
そういう意味ではセラピストは同じことをコツコツやるのが仕事で、創造性を必要とはしません。
僕もたくさんのトラウマを抱え自信の無さに苦しんだので、同じ悩みを抱える人のためにとヒーラー/セラピストとして活動していた時期もありますが、続けることができませんでした。
・もっと良く(改善欲求)
・もっと便利に(楽したい)
・もっと画期的なものを(創造欲)
自然と内側からこういう衝動が沸き上がってきて、抑えられなくなります。
こんなセラピストも居てもいいのかもしれませんが、当時はHSS気質を知らなかったこともあって、ただただ同じことを続けるのが苦痛で燃え尽きてしまいました。
HSS型HSP
HSPとHSSの気質の両方を合わせ持つ人をHSS型HSPと表現します。
・感受性が豊かで刺激に敏感:HSP
・刺激を求めるが飽きっぽい:HSS
この一見相反する気質を合わせ持つので、自分でも『俺は多重人格なのかな』と真剣に悩んだこともあります。
30代前半で自己啓発セミナーにハマっていた時、内容や参加者に感化されまくって『俺には無限の可能性があるんだー』とゥワァーっとテンションが上がるも...
トラウマのせいで全然行動できないので現実は変わらず、うつうつとした日々を過ごす。
そんな「最高な自分」と「最低な自分」を経験し、ますます自分という人間が分からなくなり迷路に迷い込んでいきました。
気質かトラウマか
トラウマを持って生まれたからHSP(敏感)やHSS(刺激探究)になったのか。
敏感(HSP)や刺激を求める(HSS)からトラウマ体験を引き起こしたのか。
鶏が先か卵が先か?僕には真相は分かりません。
1つ言えるのは、トラウマが軽くなってHSPやHSSの症状も収まって来ているということ。
僕の体感ではトラウマは現在7割解消されました。=残り3割
その影響もあってか、HSP気質とHSS気質も昔に比べてだいぶ落ち着いています。
対処法を知りケアしているからというのもあると思いますが、トラウマと気質の関係というのは相関性が高いのではないかと見ています。
どちらにしろ、それぞれ原因や特徴、解決方法を知り、自分に合ったストレス解消などのこまめなケアが欠かせません。
HSS×HSP×6つのトラウマ
・HSSによる気分のジェットコースター
・HSPの敏感さ
・6つのトラウマ
この三重苦を抱えたまま、何も知らずに30歳まで「辛い」「苦しい」ともがき苦しんでいました。
「何でこんなに生きづらいのか」
救いを求め30歳で精神世界の勉強を始めて早10年以上の月日が経ちました。
・ひきこもり
・借金
・人間関係崩壊
・無言バックレ
・友だちの自殺
・パートナーの裏切り
およそ人生で遭遇するであろう、ありとあらゆる苦難を経験してきました。
特に、自信が持てなかった事とやらかしの多さなら、誰にも負けない自信があります!
(やらかしは現在進行形です笑)
虐待されたわけでもないのに
「世の中にはもっと辛い境遇の人も居る」
「過去のことなんだから忘れろ」
引きこもり時代に父や母とバチバチにやり合った時、何度もこう諭されました。
確かに僕は殴られたこともなければ折檻を受けた経験もありません。
(脅しはありますけどね)
体にアザがあるわけでも栄養不良でもありません。
パッと見は元気な成人男性そのものです。
ただ、その人がどのぐらいの心の傷を負ったかはその人にしか分かりません。
例え1回の体験であっても、人によっては一生消えないトラウマになることもあります。
僕のように小さい頃からビビりで自分に自信が持てないまま、ずーっと他人の目を気にして「他人軸」で生きる辛さは、経験した人にしか理解できない辛さだと思います。
生き地獄
こう言うと「みんな苦しいし大変なんだよ」とドヤ顔で正論をかましてくる人が居ますが、トラウマが軽くなった今なら断言できます。
「苦しさと大変さのレベルが別次元」
トラウマまみれでHSPとHSSに振り回されていた頃は、山口から東京に移動するだけでグッタリしていました。
もちろん移動日はホテルに着いたらバタンキュー。
そのぐらい、ふつうの人がふつうにやってる事をやるだけでも大変でした。
毎日、今日1日を生き延びるのに必死で、一生懸命に出し尽くしてやっと人並みの成果をあげることしかできない状態なのに・・・それを死ぬまであとウン十年も続けるだなんて、想像するだけで吐き気がします。
加えて自分が大嫌い。
弱くてちっぽけで情けなくて、本気で変わりたいと思ってるのに変われない。
この生き地獄から救われるのなら、悪魔でも幽霊でもなんでもいいと思っていました。
物余りの時代だからこそ
僕たちは今、物も情報も食べ物もワンクリックで手に入る時代に生きています。
心身ともに充実した時間を過ごせるようになりました。
と言いたいところですが、実際はみんな忙しく働いて心をすり減らしています。
物や情報や人との繋がりが増え、むしろ有り余ってしまったからこそ
・自分を見失う
こういう逆転現象が起こっています。
人類のご先祖さまは皆、子孫たちが美味しい食べ物があり、安心して快適に過ごせる家で、気の合う友だちと幸せに生きられる未来のために一生懸命がんばって生き抜いてくれたにも関わらず...
僕たちはその「有り余る豊かさ」のせいで『満たされない何か』に苦しんでいます。
トラウマや気質と向き合う
『満たされない何か』とはありのままの自分を受け入れ、良いところもダメなところも丸ごと全てを愛すことです。
運命を呪い、親を憎み、自分を諦めましたが、それでも人生は変わりませんでした。
むしろどんどん悪化し、孤立し、自暴自棄になって、
「俺には生きている価値なんてない」
「ただ飯を食って二酸化炭素を吐き出してウ〇コを垂れ流すだけ」
こうやって自分を追い込んで、傷つけ、ただ時間だけが過ぎてしまいました。
それでも!
僕にはそうやって傷ついた心を癒す時間が必要だったんだと思います。
平気なフリをしていましたが、深く傷つき、生きることに絶望していたんだと思います。
トラウマや気質を克服する
自分はたくさんのトラウマを抱え、HSPやHSSの気質があることを受け入れて、
・トラウマ=インナーチャイルドを癒し
・HSPやHSS気質を勉強し強みを伸ばす
ビジネスや人生において、どうすれば自分の才能を発揮し人の役に立てるか?
・何のためにトラウマを持って生まれたのか?
・何のためにHSPやHSS気質が備わっているのか?
天から与えられた使命=天命を知り、少しずつ自分を受け入れることができるようになると、徐々にビジネスでも活躍できるようになっていきました。


100年後の人にも役立つものを
『トラウマや自分の気質に苦しんだ人が幸せに成功できるように』という思いで運営しています。
電子書籍や動画は僕が死んだ後、僕が居なくなっても知恵として生き続け、悩める人を苦しみから救い、幸せになるお手伝いができます。
僕にとってこれ以上価値のあることはありません。
毎日、自分にとって最も価値のあることを続けられているこの環境に心から感謝しています。
今は心の底からこう思えるようになりましたが、以前は自信のなさに打ちのめされ、HSS気質に振り回され、自分の弱さを恥じ、運命を呪いました。
流した涙は1リットルどころではきかないと思います。(本当に)
やり抜く力
心のブレーキ(心理的抵抗)によって、『お前には無理だ』『どうせ誰にも相手にされない』こんな声が頭の中で喚いていて、限界になると全てがどうでもよくなって...
あともうちょっとで上手くいきそうなのに『そんな程度じゃダメだ』『もっと完璧にしろ』見えない壁に邪魔されて途中で投げ出し、何度心が折れたか分かりません。
その原因はメンタルブロックやトラウマと呼ばれる、心が深く傷ついた記憶。
そんな深く傷ついた心を癒すことで、ブレーキに抵抗されなくなり、表現したい事を諦めずに最後までやり遂げられるようになりました。
・・・たったこれだけの事に、ここまで来るのに40年かかりました。
「俺には生きる価値が無い」
僕は物心ついた時からビビりで小心者。
何でも器用にできるのに、何にも自信が持てない…。
姉ちゃんが僕とは対照的に豪胆な性格だったこともあり、『性格だから仕方ない』となかば諦めつつも、それでもずっと自信の無さを受け入れることができずに抵抗していました。
結果、33歳で2年ひきこもり、その後も双極性障害(躁うつ)の後遺症に悩まされ、
「何で俺がこんな目に遇わないといけないんだ」
「生きている意味なんて無い」
「この地獄が一生続くのか...」
人生に絶望し、親を憎み、早く消えて楽になりたいと願っていました。
2大トラウマ
「何でこんなに生きづらいのか」
頑張っても頑張っても上手くいかない。
救いを求めて30歳で本格的に自分探しをはじめ、心理学、精神医学、スピリチュアル、自己啓発、NLP、成功哲学、仏陀の教え、神道...
最終的にたどり着いた精神世界で、自分の中に大きな6つのトラウマがあることを知ります。
・監視される
・捨てられる
・疑われる
・拒絶される
・馬鹿にされる
・できない
束縛、見捨てられ不安、自己不信、罪悪感、無価値観、無力感...
潜在意識の奥深くに、こんなにも傷ついた記憶が存在していました。
この中でも、「拒絶される」「馬鹿にされる」の2つはとてつもなく大きくて、僕の人生が狂ったのはこの2つのトラウマのせいと言っても過言ではありません。
北は北海道、南は熊本まで
北海道、東京、名古屋、大阪、福岡、広島、熊本etc...
コロナ前ですが日本全国をセミナーやワークショップで訪れることができました。
(遊びも兼ねて笑)
色んな所に行き、色んな人に会い、初めて気が付いた「俺はどこに居ても誰と居ても俺だし、俺のままでいいんだ」という感覚。
何を今更と思われるかもしれませんが、実際に体験しないと気付けないこともたくさんあります。
山口県という片田舎の狭い村社会の中で生きていると、僕のような人間は異端で悪目立ちするだけの存在です。
今振り返ると、あまりに価値観が違いすぎて生まれる時代を間違えたのかと思うほどでした。
ただ、全国を巡れるようになって嬉しかった反面、頭の中には晴れない霧のようなモヤモヤがずっとかかっていました。
天命に生きる
僕が杉本家の2人姉弟の末っ子長男として生まれた事は変えられません。
たくさんのトラウマを抱え、HSPやHSSの気質があることも変えられません。
配られた『カード』を受け入れて、今持っている『カード』の中でできるベストを考え抜くしか、人生を切り拓くことはできないと実感しています。
それが本当に僕の天命なのかは誰にも分かりませんが、大事なのは
・自分が心の底から納得し
・ワクワクしながら才能を発揮し
・好き勝手やって情熱的に生きる
自分が命をかけて成し遂げたい事が見つかって、幸せになれるなら方法は何でもいいと思います。
(他人に迷惑をかけなければ、ね。)
今の僕と両親の関係
何気ない会話で笑いあったり、お互いを気遣えるようになりました。
「お前たちのトラウマのせいだ!」
「私たちはちゃんと育てた!否定してない!!」
お互いを責め合っていた時とは別人のように良好な関係を築けています。
愛情を持って育ててくれたことへの感謝や、これからたくさん恩返しするという思いも芽生えています。
今まで本当にたくさん心配をかけてきたので、長生きして色んな所に遊びに連れて行って、
「あなたの親で良かった」
「来世もあなたの親に生まれたい」
こう言ってもらえるように、今は自分のできる目の前の事に100%のベストを尽くしています。
目指す場所
「杉本さんと出会えて良かった」
僕が死ぬ時、僕と関わった人にこう言ってもらえる男になるべく、今日もトラウマと向き合い、HSPやHSSの気質を最大限に活かす方法を模索しています。
・人間はエネルギーの集合体
100年も持たずに消滅する、ただのエネルギーの塊です。
トラウマや気質という問題に人生の大事な時間=命を奪われ、苦しむのは勿体なさすぎる!
僕も天命に気付いた今だからこそ言えますが、トラウマや気質にはものすごい才能が隠されています。
ただ、そのせいで自分を信じることができなくなってしまう面があるのもよく分かります。
(僕も長い間苦しんだので)
最後に
もしあなたが1人で悩んで希望を見つけられないのであれば僕に聞いてください。
・あなたの才能が発揮されて、あなたも世の中も最高にハッピーになる
そのお手伝いができることは僕にとって最上の幸せです。
僕は42歳にしてやっと命をかけて、生涯を通してやりたいことが見つかりました。
必ずあなたにもあります。
そのために今日までたくさん苦しんで来たんです。
これからはその経験を、次の世代の人のために役立てて、あなたも幸せを手にしましょう。
eラボ代表
杉本隆一
